千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)
古賀 稔彦 さんが鍛錬をした石段
今年亡くなられた「平成の三四郎」バルセロナオリンピック 柔道金メダリスト 古賀稔彦さんの地元で、小学生の頃、146段の石段を毎朝7往復して足腰を鍛えたそうです。あの強さの秘密はここにあったのですね。まさに金メダルへの道。勝負事の前に必勝祈願として訪れてもご利益があると思います。ぜひ近隣に駅前不動産スタジアム(佐賀県鳥栖市)をホームスタジアムとする、Jリーグクラブ サガン鳥栖やアウェイ対戦チームの応援の際に訪れてみては如何でしょうか?!
境内の様子
由来
「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。
なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。
承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています。 引用:みやき町観光協会
神社メモ
御祭神: 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
難波皇子、宇治皇子、住吉明神、
境内社: 武雄神社、鳩森稲荷神社、天満宮
- 祭旦祭 (1月1日)
- お粥祭、祈年祭 (春季大祭、3月15日)
- 名越祭 (8月1日)
- 秋季大祭 (放生会、9月15日)
- 御神幸 (9月第3日曜日)
- お火焚き神事 (12月31日)
ご朱印あり
武雄神社
屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと)をお祀りしています。
孝元天皇の皇子、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の子どもにあたります。
長じて祭祀・占(ト)を司る任にあたり、景行天皇に仕えた臣下で
高良大社の御祭神武内宿禰の父と言われています。
昔から手足の神様といわれ、手や足の痛みに霊験を顕し多くの人がそのご神徳を戴いています。
手や足に痛みのある人は奉納されている木型を持ち帰り、患部に当て快復を祈念し、治癒御礼には
新しく手・足の木型を作り奉納します。
また、左右に供えられた狛犬の表情豊かな顔が、柔らかな癒しの空間を演出しています。
鳩森稲荷神社
壬生春成の弓の先に止まったと言われる八幡神の御使である白鳩を祀ってあります。
火炎鎮護・家内安全・商売繁盛・交通安全にご利益があるといわれています。
アクセス
駐車場は数台
引用:みやき町観光協会
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